2022.11.17

ホットサンド作るの買おうかなって書いたら、さらにほしくなってきた。電気で作るのと、直接コンロにかけるのとあるみたいだけど、絶対電気の方が楽だよね。ひっくり返したりしなくていいし、タイマーで止まるし。書いたらまたほしくなってきた。何挟もうか、具を考えはじめて、楽しくなっている。

「ファーストペンギン」、片岡が、変わってよかった。新人と他の漁師たちがうまくいなかくて、その時片岡がちゃんと新人を守るようになって、前なら和佳がこれもやって、漁師たちをとりなしていたのが、片岡がそれをやっている。えらい。でも、片岡が変わったことによって、漁師たちが裏切られたって思ってしまうんだね。ああ、うまくいかない。こんなとき永沢君がいてくれたら。高志のおかあちゃん、状態よくないのかな。今回、和佳が篤に質問して、続いて高志に同じこと聞いて、2人の答えが一緒なのに高志に言われて納得するって描写があって、それに突っ込むのが篤じゃなくて片岡という一連のシーンがよかった。おかしかったし、4人の関係表しててよかった。松本若菜さんの派手な方に過剰な演技も好きだけど、今回みたいに真面目な方に少しだけ過剰な演技もいい。

聞き逃しで「歴史再発見 食の流行から見る暮らしの近現代史」を聞く。第1回は「幕末と獣肉食ブーム」。タイトル見た瞬間、そういえば新選組って屯所で豚飼ってなかったけ?あれ?にわとりだったっけ?と思い出した。幕末は雁鍋や軍鶏鍋が流行ったと聞けば、竜馬と中岡が暗殺されたのって軍鶏鍋屋だったよね?と出てくる。大河の「新選組!」見たときに、幕末の本を読んだ時の記憶がぼんやり蘇る。「真田丸」の時は関連する本1冊も読まなかった。今回も読んでなくて、見終わったら読もうと思っているんだけど、飽きっぽいからドラマが終わったら次に関心が移っていて、それで読まない可能性がある。丸のときはそれで読まなかったし。鎌も怪しい。組!の時はDVDで一気に見たんだよね。その勢いで本も読んだんだろうな。歴史再発見、久々に聞いたけど、やっぱり面白いな。ちゃんんと毎回聞こう。

あやさんの対談が火曜日の朝日に載っていたらしい。近所の図書館は朝日置いていないから、街中の大きな図書館に行こうかな。ネットで登録すれば読めるのかもしれないけど、めんどくさい。そうしないと読めないものは読まない。

「K-BOOKフェスティバル」というお祭りが東京であるらしい。興味ある。現地には行けないけど、オンラインイベントもあるようなので、調べてみる。なんかに参加しよう。本読むことと映画やドラマを見ることは日常だから、祭り気分を味わうために、「今週末はK-BOOK祭りだ」と意識して韓国の本を読もうかな。ただ、今詰んでいる中にも図書館で届きそうな本にも韓国文学がないのよ。祭りに乗じてほしかったあの本を買おうかななんて目論んでいる。それか、週末大きな図書館に行って、朝日読んで、韓国の本借りてこようかな。今、サイトのぞいてみたけど、気になっている本がありすぎて選べない。「アンナ」、ユミの前に本物のイ・アンナが帰ってくる。この段階でも、イ・アンナの方がユミより高層に住んでいる。アンナの元で働いていた時には、大変な坂道を登って通っていたのに、今やその差は1階。これが逆転するのかな。ユミはアンナに会いたくなくて、エレベータを使わず、階段を使う。それが当時アンナの会社へ通っていたことを思い出させるが、アンナはユミに、「これからも階段を使いなさいね」と言う。身分を弁えなさいねってことでしょ。

明日行ったら休み。また、仕事のことや将来のことで思い煩うことなく休めますように。来週は祝日がある。祝日はいい。土日と違って家事をしなくていいから、自由に過ごせる。未だにバリキャリへのコンプレックスがあるけど、「舞いあがれ」で舞ちゃんが部員の期待を背負って空を飛ぶのを見ていたら、自分にはあのプレッシャーには勝てない、押しつぶされてしまうって思ったから、バリキャリには向いてなんだろうなと思う。このコンプレックス自体が、偽の感情の可能性もあるんだけど、どうだろ。地元のニュースに出てくるアナウンサーの女性が、趣味の集まりで知り合った人に似ていて、私はその女性にコンプレックスを抱いているから、テレビでそのアナウンサーを見ると、コンプレックスを思い出してしまう。でも、趣味の集まりでは仕事やプライベートなことはあまり話さないから、ざっくりとしか知らないうえに、共通の趣味友達から聞いた話も入ってるんだけど、研究職として入ったのに、営業をやらされていて、本人としては研究だけやっていたいんだけど、営業でも成績がいいから営業が離してくれないみたい。やめやめ、人をうらやましがるのはやめたんだ。書いといてなんだけど。その人が大変な思いしているだろうに、そこは無視して、自分がいいなと思うところだけ見て羨ましがってはいけない。いけないんだけどさ、まあ、そうしてしまう自分を責めすぎないようにしよう。自分に甘いのは分かってんだけどさ、これを前向きな気持ち、言葉に変換してってやりかたが向かないのよ。自分はこういう気持ちを持っていると、認めるほうが合っている。羨ましいは、ああなりたいの裏返しだって、そうなんだろうね。そこを掘り下げるのは、もうやったのよ。行動も起こしてみたけど、無理だったのよ。失敗したの。それなのにまだ羨ましいなんて未練がましいこと。身の程を知るって、なんか卑屈っぽいから嫌なんだけど、そういうことだよね。身の丈にあった、かな。足るを知る、とか。こういう言い換えはいいね。